2015年11月06日更新
ちょっとマニアック?逸話・伝説を知るお城講座【中級編】
前回は、お城講座初級編ということで、お城の基礎知識についてご紹介しました。今回は中級編という事で、少しマニアックなお城にまつわる逸話・伝説などを集めてみました。これを知れば、あなたはもう立派なお城通です!(笑)
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お城に逸話・伝説はつきもの!
初級編(→http://emmastyle.jp/articles/detail/540)に引き続き、今回は中級編という事で、少しマニアックなお城にまつわる逸話・伝説をご紹介します。
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■1:怪奇伝説がアツい! 【姫路城】
幾重に連なる千鳥破風、唐破風の屋根と、白漆喰総塗籠仕上げの城壁が見事に調和し他に類を見ない構成美を見せています。別名「白鷺城」とも言われています。その優美な姿とは裏腹に…姫路城には、様々な妖怪などの伝奇・逸話が残されています。
【刑部姫の伝説】
姫路城の妖怪話として、有名なものが「刑部姫(おさかべひめ、長壁姫)」の話です。関ヶ原合戦後、池田輝政が姫路城に入城したばかりの頃。この時、姫路城内で奇怪な現象が連続しました。
http://shichikasha.info/stories/2/chapters/43
・誰もいないはずの天守に明かりが点る
・鳴き声がする
・夜な夜な悪鬼や大入道が現れる
・『輝政が天狗に取り付かれ、祓うには城の鬼門に八天塔を建造して第八天神を祀れば救われる』という内容の手紙が届く
など…。度重なる妖怪騒動に輝政の体調も疲弊していき、ついには、手紙に従い八天塔を建てると、病が治りました。病が治った夜。輝政の枕元に姫路城に古くから住み着いていた刑部姫という妖怪が現れ、ビビってしまった輝政は一年に一度、彼女の要望を聞くので家臣の前に現れないでほしいと懇願します。そして刑部姫は新築した大天守に移り住むことを条件に承諾したのだとか。以後、姫路城の歴代城主は年に一度、刑部姫との会談を行う様になったそうです。
そして、今でもここ姫路城大天守の神棚に刑部姫が祭られているそうです。
http://blogs.yahoo.co.jp/sags1040/63580936.html
さらに、あの剣豪の宮本武蔵も刑部姫と対決していますが、郷義弘という銘刀を与えられて懐柔されたとか!…あくまで逸話ですが(笑)
https://www.pinterest.com/pin/512777107549674999/
【お菊さんで有名な播州皿屋敷も姫路城が舞台】
お菊さんといえば、『一枚…二枚…』と皿を数える幽霊で有名ですね。家宝の皿10枚のうち1枚をなくした罪をきせられ、殺されて井戸に投げ込まれたお菊の亡霊が『一枚…二枚…九枚、一枚足りない~』と悲しげに皿を数える声が夜毎、この井戸から聞こえたといいます。 -
■2:人柱!?幽霊!?美女伝説 【松江城】
松江城は松本城や犬山城と並び“現存12天守”と呼ばれている天守の一つです。現存12天守というのは、江戸時代もしくはそれ以前に建設されたもの。その中でも松江城は、信長の安土城から秀吉の大坂城へと続く正統な天守の形で、現存の城では松江城しか残っていません。とても貴重なお城なのです。
古いながらも宍道湖のほとりに情緒ある佇まいを残す松江城ですが、外観の風雅さとは裏腹にいくつかの怪異な伝説を残す城としても知られています。
引用元:http://gathery.recruit-lifestyle.co.jp/article/1143400804824993701
【人柱伝説】
松江城天守着工の時、何度も石垣が崩れ築城が難航した事から、人柱が建てられることになったそうです。そして、城下の盆踊りに参加していた美しい娘を連れてきて、そのまま埋めてしまいます。その後、無事城は完成しますが、盆踊りの度に城が揺れるなどの祟りが続き、城下での盆踊りが禁止されたと言われています。
娘のたたりが伝えられる松江城の石垣はこのあたり…。
http://homepage2.nifty.com/matsue-jo/contents5.htm
【天守に現れた美女幽霊の話】
幽霊の逸話もあります。京極氏断絶の後、城主となった松平直政が初めて天守に登った時、直政の前に美しい女性が現れ、「この城は私のもの」と言ったので、「明日にでも”このしろ”を与えよう。」と直政は答えました。コノシロという魚を三宝に乗せ供えた所、翌日城内の櫓で三宝が見つかり、怪奇現象はなくなりました。えっと…早い話が、「この城」と「コノシロ(魚の名前)」をかけたシャレですね(笑)
この話は、現在は取りつぶされて無くなりましたが、以前存在した「コノシロ櫓」の起源だそうです。櫓の場所には元々祠があり、築城の際に取り壊した事から、怪奇現象が続いたとも言います。このこの幽霊、もしや人柱にされた美女の幽霊なのでは??と思ってしまうのですが…謎です。
そして、これが幽霊が現れたと言われる天守(天狗の間)。広くて、非常に見晴しがよく、四方が解放されているので、風が吹き抜ける。望楼式といって、現存天守の中でもめずらしいものだそうです。
http://i-life.blog.jp/archives/1022935715.html
【ギリギリ井戸の逸話】
松江城には“ギリギリ井戸”というものがあります。ギリギリ…際どい所にある井戸。…というわけではありません(笑)
http://gathery.recruit-lifestyle.co.jp/article/1143400804824993701
実は、人柱の話とは別に…もう一つ伝説があります。築城時に鬼門の方角にある石垣が、いくら積んでも崩れたため、崩れる個所を掘ったところ、槍に貫かれた頭蓋骨が出てきました。供養したところ、石垣は無事完成しました。掘りだされた穴からは、澄んだ水が豊富に湧き出し、頭のつむじを表す方言(掘った所が城の中心だったので…)の「ギリギリ」井戸と呼ばれるようになったそうです。なんとも、おとぎ話っぽい逸話ですね。 -
■3:実は謎が多い城 【大阪城】
大阪城を造ったのは、安土桃山時代に天下統一をなし遂げた豊臣秀吉。秀吉の没後、徳川家康が関が原の合戦で勝利して征夷大将軍となり、一方、豊臣家は大阪冬の陣・大阪夏の陣で滅ぼされ大阪城も落城しました。その後、1620年(元和6年)、江戸幕府によって新たな大阪城が築城されましたが…1665年(寛文5年)に落雷によってあえなく焼失。
運が悪いのか、災難続きの大阪城。しばらく、石垣のみを残し、ほぼなにもない状態が続き、天守閣が復興されたのは、1931年(昭和6年)。昭和天皇の即位礼にともなって企画された記念事業によって造られたのが、今の大阪城天守閣なのだそうです。立派な天守があり、堂々としている割には、意外と歴史の浅い城なのですね(笑)
そして、そんな大阪城…実は、謎スポットが多いことで有名なんです!
【南側外堀の石垣にある目的不明の穴】
大阪城の石垣に1カ所、ちょうど積み石1コ分が抜き取られたような穴がポッカリと空いているのを確認できる場所があります。南側の外堀に面した石垣、ちょうど六番櫓(やぐら)が立っているところから西側の壁面に位置する約90cm四方の大きさの穴。
http://news.mynavi.jp/articles/2014/04/14/osakacastle/
現在の石垣が積まれた時からあるものではなく、後世にわざわざ積み石1コ分を取り除いて空けたものらしいです。そして中は現在、2mほど入ったところで崩れて行き止まりになっており、そこには木の柱らしきものが立っているとのことで、人工的に掘られた穴と考えられています。
…実はこの穴、明治以降に大阪城を占有していた旧陸軍が空けたものらしいのですが、しかし、その理由や目的は分かっていません。穴は石垣の上から約15m下方、堀の水面から約8m上方に位置し、人が出入りするための穴とも考えにくく、謎は深まるばかり…。
【真田幸村の抜け穴伝説】
お城には秘密の抜け穴があるという伝説がつきものですが、あの真田幸村が絡んでいるとなるとテンションが違いますよね?
大阪城から少し場所は離れた、現在の大阪城公園から南に1.5kmほど下ったところに宰相山公園があり、その公園内に「三光神社」という歴史ある神社があります。ここは大阪冬の陣の際に、豊臣方の真田幸村が陣を構えた真田丸があった場所。神社内には幸村が築いたとされる、大阪城下へと通じる地下の道「真田の抜け穴」跡が現在も残されています。
ただし、真田の抜け穴伝説は信ぴょう性に乏しく、むしろ徳川勢が戦略上つくったものだとする説もある。ちなみに、そんな史実とは言い切れないものでありながら、三光神社にある真田の抜け穴とされる跡には、「史跡・真田の抜け穴跡」という碑が建てられており、はっきり“史跡”と言ってしまっているところが面白いです! -
■4:徳川に背く気満々の部屋!? 【熊本城】
【熊本城の『昭君の間』】
http://blog.livedoor.jp/asanokyoudai/archives/51604928.html
熊本城本丸御殿(くまもとじょうほんまるごてん)は畳数1570畳、部屋数53もある建物群でした。その中でもひときわ大きい建物が本丸御殿大広間。そして、その中でも一番格式の高い部屋が「昭君の間(しょうくんのま)」と呼ばれる部屋です。中国の前漢の時代の話で、匈奴(現在のモンゴル)に嫁がされた悲劇の美女、王昭君の物語が描かれており、豪華な内装となっています。
この「昭君の間」、実は…
「将軍の間」の隠語であるという説もあります。熊本城を造った加藤清正は豊臣秀吉子飼いの武将。その遺児である秀頼に万が一のときは、この熊本城に秀頼を迎え入れ、西国武将を率いて徳川に背く覚悟が清正にはあったそうです。そのための部屋が「昭君の間」だったとか。しょうくん…しょうぐん…。なるほど(笑)。
この部屋は、いざという時に、『秀頼を匿うための部屋』だったというわけです。
【昭君の間の抜け穴伝説】
ここ、熊本城にも「抜け穴伝説」があります。熊本城築城に携わった大工の棟梁善蔵(ぜんぞう)が語った「大工善蔵より聞覚控」という古文書が残されており、そこには、「昭君の間の後ろの壁が回り、床下の通路にはしごと女の髪の毛でねりあはせた縄で下りれば、そのまま門をくぐって城外へ出れるようになっていた」と書かれています。
抜け穴の出口、見えますか?小天守閣の左下側の石垣の底の部分に穴らしきものが…!?そう!コレです! -
■5:里見八犬伝の郷 【館山城】
館山城は、里見義康・忠義が居城とした館山城の跡地に、昭和57年(1982)、館山市立博物館の別館として建てられました。再建された模擬天守ということで、現存天守でも復元天守でもないところが残念ではありますが、八犬伝ゆかりの地として「南総八犬伝」ファンにはアツい城となっています。
【南総里見八犬伝とは?】
南総里見八犬伝は、里見氏をモデルに、江戸時代の戯作者・滝沢馬琴が著した人気伝奇小説です。この物語は、映画、歌舞伎、アニメ、漫画など様々なところでリメイクされ、歴史ファンタジーとして根強い人気があります。南総里見八犬伝の話の内容は知らない人でも、名前は聞いたことがあるのではないでしょうか。
http://blogs.yahoo.co.jp/tamihira123/29748779.html
【南総里見八犬伝のストーリー】
どんなお話か知らない方のために!あらすじはこんな感じ!
・里見の城が攻め込まれ大ピンチ!
↓
・「功をあげた者に姫を与える」と半ばヤケクソで殿様が言います。
↓
・しかし、功をあげたのはなんと!犬でした!
↓
・仕方なく殿様は姫を犬に与えました。
↓
・犬と姫が契り、不思議な力で「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の八つの玉が生れました。
↓
・伏姫の死とともに八つの玉は八方に散してしまします。
↓
・その玉を持って産まれた8人の青年が次第に結集し、里見家のために大活躍!
…というロマン溢れるお話です。
天守は現在館山市立博物館分館(八犬伝博物館)として利用され、天守内部は館山市立博物館の分館となり 館内には江戸時代の文豪滝沢馬琴が半生をかけて書き上げた壮大なフィクション『南総里見八犬伝』に関する多くの資料を展示しています。つまり、お城の中は、博物館!という珍しいお城。
http://plaza.rakuten.co.jp/pasonisan/diary/200908300001/
天守閣からの眺めは素晴らしく、晴天には富士山や伊豆半島まで見ることもできます。
http://www.geocities.jp/tbsrw194/geowelcome1.html
【八犬士のモデル八遺臣の墓】
天守を見学して、下山する途中にあるのは、ファンにはたまらない!八犬伝登場キャラクターのお墓。仁義礼智忠信孝悌の文字が、彼らの名前の一部になってますので、よ~く見てみてくださいね♪ -
伝説・逸話はお城の醍醐味!
豊臣秀吉が一晩で作ったと言われる城墨俣城まだまだ、他にも伝説・逸話のあるお城はあります!というか…逸話のないお城がない!!と言ってもよいほど、逸話で溢れています。怪奇の話・悲話など、絶対フィクションでしょ!と思える話もありますが…。城に悲しい伝説が多いのは、それだけ城を築くのに苦労と犠牲を要した…という事なのです!城の築城の歴史、逸話などを知り、改めて城を見学してみると、また違った「城の顔」が見えるかもしれませんよ♪
----引用元記事----
ホンネde旅コラム http://ap-travel.com/blog/real_intention/20151020
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